『紋平柿』に関する情報について

更新日:2022年02月15日

宝達志水町産さわし柿「紋平柿」についての情報です。

「紋平柿」の由来及び記念石碑について

江戸時代後期(1800年頃)宝達集落(上野地区)のこの地に「紋平さ」という屋号の農家が住んでいました。

ある日、紋平さが屋根葺きの作業中に飛んできた柿の種を家の前に植えてみたところ、大きな渋柿ができ、それをさわして(渋抜きして)食べてみたところ、とても甘くて美味しいさわし柿ができました。

そのさわし柿がとても美味しかったため、「紋平さ」の柿の木を母樹として、宝達山麓の周辺集落に広まっていきました。「紋平さ」の柿の木から穫れたことから、その柿は「紋平柿」と呼ばれるようになりました。

明治となり、平民苗字必称義務令(1875年)により、「紋平さ」は「野村」の苗字を名乗ることとなりました。野村家の旧墓は今も近くの山中に残っています。

紋平柿の母樹(直径1m程の大木)は、1970年代の町道(現在は県道)の拡張工事の際に切り倒されました。

昭和に入り、「紋平さ」の家屋敷は「野村家」から「上森家」のものとなり、その後取り壊されました。跡地には杉が植えられ、杉林となりましたが、2021年、その一部を町が購入し、この碑を建立、今日に至っています。

 

「紋平柿由来の地」記念石碑より

紋平柿の写真

紋平柿
紋平柿
令和3年11月29日(月曜) 紋平柿発祥の地・記念石碑設置除幕式
除幕式
記念石碑の写真
記念石碑

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